縄文時代

漆器と土偶…縄文時代の2つの遺物から見えるモノ

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漆製品のルーツは日本説

漆製品のルーツは日本列島にあると言われている。

これまでの最古の漆器出土例は中国の河姆渡遺跡の7000年前であった。

これに対して日本では6000年前の鳥浜貝塚が最も古かったため、漆芸は中国から伝来したものであるという説が一般的であった。

 

しかし近年になり、日本こそが漆器発祥の地ではないだろうかと思われる痕跡がいくつか出てきた。

まず、三内丸山遺跡(青森市)から出土した5500年前の漆の種が、現存する中国産の漆の種のDNAと一致ず、むしろ岩手県二戸郡浄法寺町の種と一致して三内丸山の漆器に純国産の漆が使われていたことが判明したこと。

さらには居徳遺跡(高知県土佐市)から出土した縄文晩期の漆器に、中国で例のない華麗な花びら模様が描かれていたこと。

加えて、縄文時代の遺跡から出てくる漆器が、中国から出土したものよりも高度な技術で作られていたことなどがそれである。

 

ただし、漆製品のルーツが日本であり、それが大陸に伝わったことを確定するには河姆渡遺跡より古い遺跡から漆製品が発掘されることが条件だった。

ところが2000年8月、垣の島B遺跡(北海道茅部郡南茅部町)の土壙から6点の漆製品が発見され年代は6500年前のものと考えられていたが、炭素14年代測定法によって年代測定をしたところ、河姆渡遺跡より2000年も古い、9000年前のものだということが判明したのである。

これにより日本が現時点で一番古い漆芸の国となったのである。

 

平安時代から江戸時代にかけて、日宋貿易・日明貿易・長崎貿易などで日本の漆器はたいへんな人気があり、膨大な量が海外に輸出された。

輪島塗・会津塗・津軽塗など、日本の漆芸技術は非常に高く、いまなお多くの外国人が日本の漆器に魅了され、お土産として持ち帰っている。

それほどまでに日本の漆器が評価されてきたのはやり、我が国が漆芸の元祖であったからなのかもしれない。

 

土偶は壊されるために作られたのか!?

縄文時代の遺跡を掘ると、土偶と呼ばれる土人形がよく出土し、現在までに発掘された土偶の数はなんと1万5000体を超えている。

では、土偶はいったい何のために作られたのかということだが、これだけ沢山の数が出ていながら、実はまだはっきりした定説が無いのである。

ただし、土偶のほとんどが妊婦をかたどったものであり、壊れた姿で出土することが圧倒的に多いことは確かであるため、土偶は壊すために作成された人形であるというのが定説になりつつある。

 

ではなぜ、あえて壊すのかということだが、それに関しては多くの説があり、最も有力なのは五穀豊穣を願うためというものである。

古事記や日本書紀にも記されているように、我が国には縄文時代から女神を殺害するとその体内から穀物や蚕が発生するという不思議な言い伝えがあり、女神に見立てた土偶を破壊することで五穀奉納を祈ったのではないかというのである。

他にも、病や怪我をした時にそれが早く治るように、自分の体の悪い部分を破壊して土偶に身代わりになってもらおうとしたのではないかと推測する説もある。

また、土偶を破壊することに酔って人を呪ったのではないかとする説もある。

 

完全な形で出土される土偶

ところが近年、弘前大学・藤沼邦彦教授がこれらの学説に異を唱えたのである。

氏はこれまでの発掘ではわざと壊したものと思われる土偶雨はあまり存在せずに東北地方では壊れた部分を接着して修復しているものが多く見受けられるために、土偶は破壊せずに様々な儀礼に使用されていたのではないかと主張する。

1986年に棚畑遺跡(長野県茅野市)から出土し、その美しさから「縄文のビーナス」と呼ばれ国宝にも指定された土偶や、1999年に同じ茅野市の中原遺跡から出土した縄文後期の土偶は、いずれも完全な形で出土している。

 

藤沼氏の説ついては、今後の発掘の進展によって次第に明らかになってくると思われるが、現時点で言っても壊される目的で作られたのではない土偶も存在する事は確かなようである。

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